今までの人生の中で最も激動の1年だったかもしれません
この記事は力強くブログを108記事アウトプットする日の 20241229のYourein 3 記事目です
ざっくりと1年まとめ
1月
PHP Conference Hokkaido 2024
このイベントでカンファレンスや勉強会方面での1年の動きが決まったと言っても過言ではなかったと思います。自分がやったことと言えば質問用のマイクを運ぶぐらいでしたが、それほどインパクトに残ったイベントであったと言えます。
パラレルショット
本当にこのライブで価値観がひっくり返ったんです。ひっくり返ったというか、壊れたと言うか。偶然(入金期限遅れなどでの)キャンセル分のチケットを取れて、急遽東京に行くことにしたのですが、本当に行って良かったと思います。これ以降いろいろライブに行くハードル的なものが下がって家計は厳しくなりました。バカが代。
ゆるすぎる勉強会
3月
PIXIV SPRING BOOT CAMP 2024
久々にガッツリとコードを書きたくなったので応募しました。コードを書きに行ったら就職の話をされて「まあそれはそうだよな…」みたいな気持ちになりました。インターンと言えば夏!みたいなイメージがあるなかで、春インターンを開催している企業は(個人的な体感として)実務インターンが多く、それでいてガッツリコードを書かせてもらえる環境であることが多いような気がするのでお得だと思っています。
AndroidコースとImageFluxコースに応募したのですが、ImageFluxコースは書類選考落ちでした。まあそのコースに応募する動機があるような経歴を書類に書いてなかったから妥当とは思う。でもちょっと悲しかったですね。Androidコースは技術面接まで進んで、「あーこれは落ちたな」と思ったのですがなぜか受かって行かせてもらえることになりました。マジか。
あとから友人と話してる中で思ったこととして、pixivのインターンは行こうと思って行けるくらいの倍率ではないらしく(特にWeb系)、ここでコードを書かせてもらったのはかなりいい経験になったなと思います。
4月
プロジェクト学習配属
本当にやりたいことがなくて、というより、どこのグループにもこれといった魅力を感じなかったんですよね。もうこのときの自分がどういう配属希望を出したのか忘れてしまったんですが、もうどこでもいいやみたいな気持ちで提出したのを覚えています。最終的に配属先は第一志望の所になったのですが、あそこを選んだ理由は確か今年新しくできたプロジェクトであったことと、ここを第一志望にしてもプロジェクトが潰えることはないだろうということ、あとは軽い気持ちだった気がします。
新しくできたプロジェクトがいいなと思っていたのは、TAみたいな人がいるだけ邪魔な存在だと思っているからです。多分この記事を見てる人の中には実際にTAをやってた人がいると思うんですが、これに関してはごめん。
もっと知りたい → 迷子コンパスを支えたかもしれない技術
5, 6月
–CENSORED–
7月
ほんわかんふぁ vol.5
久々に釧路に行きました。順当に開催側の部活の代替わりが起きていてすごいと思いました。
このイベントの少し前が自分のMisskeyサーバー (post.yourein.net) の一周年だったので、その話をしました。
TechRAMEN 24 Conference
言語やフレームワーク、開発手法に関連せず、上川地方に根ざしたカンファレンス。本当に開催できるとはと思いました。こういう場にCfPを出すことは普段ないのですが、せっかくなのでということでCfPを出しました。個人的には少し物足りなさを感じる発表だったのですが、人からは評判が良くて良かったです。それがリップ・サービスでないことを願うばかりですが。
8月
TRAVEL2U (札幌)
なんと棗いつきさんのツアーライブが札幌で開催されるということでこれは行くしかないという気持ちになり、昼夜両公演のチケットを抑えました。
さすがに神のライブだったと言わざるえない感じでした。
あのろこたが檻に入ってる方のトートバッグは交換してません。
鏡像崇拝
実はクラリムステラのチケットを手に入れそびれ、かなり厳しい気持ちになっていたので2ndは取りたいなということで最速先行で買いました。
今までオルスタのライブが多かったので、曲の間で座って聞けるというのはめちゃくちゃ体験が良かったですね。
実はこの周辺でずっと東京に滞在していた期間があって、一度ライブグッズを受け取りに北海道に戻って、翌日東京にとんぼ返りみたいな旅程を組んでいたのですが、その頃台風が東北地方を直撃する予報で、一度北海道に戻ると東京に戻れないという可能性があったためライブグッズを受け取ることを断念してノーグッズでライブに行くことになりました。が、実はTRAVEL2Uが終わってから札幌に滞在していて、そこから東京に飛んだのでTRAVEL2Uグッズは持っていたため軽症で済みました。九死に一生を得るってやつ。
9月
PIXIV DEV MEETUP 2024
縁あって行かせていただきました。ハイブリッド主体の企業かつオフィスが2つある企業なので、なかなか全社員が一同に介する機会というのが少なく、社員同士の懇親会としての側面、リファラル採用機会としての側面、技術広報としての側面がありそうで面白いイベントだなと思います。雰囲気としては私立の力が入った学校祭みたいな感じかもしれないですね。
パラレルショットのパーカーを着ていったんですが、それを見て話しかけてくれた人がいました。割と普段着としてパラレルショットのパーカーを着ているのですが、今までそれが要因で話しかけられたことが一度しかないため (3月にあったラプリのpopupストアで) 、オタク濃度が高い空間であったと思います。
函館本線勉強会
行けそうだったので行きました
全然知らない人ばっかりだったんですが、よくよく話を聞いているとNoMapsとかSapporo Engineer Base周りに生息している人たちの会だったらしく、そりゃ関わりないわという感じでした。ところで第2回って…
10月
YAPC::Hakodate
もともと学生スタッフをやろうかなとか思ってたんですが、その、関わりたくない人って、いるじゃないですか。双方で認知しているわけではないんですが、この人と関わると面倒なことになりそうだなっていう。というわけで普通の学生チケットで参加しました。まあ無料だからどっちでもかわらんか。
千歳ゆるい勉強会
久々にゆるい勉強会が復活していたので行きました。科技大の中をちゃんと見たのは今回は初めてかもしれない。実は前に一度研究室を訪問させていただいたことがあるんですよね。
いつもどおり15分ぐらいのトークをしたのですが、なんと科技大まで父に送ってもらった関係で父の前で技術系のトークをすることになりました。マジで?
IT系にはそこまで明るくない父ですが、あとから話を聞いたらそこそこ楽しめていたようだったので良かったです。息子がどういう活動をしているのか間近で見れる機械を提供できて良かったのかもしれない。
Johodai MEET-UP
あれ、これいい感じに札幌に滞在したら行けるか?ということで行きました。いるかアイスというコンポーザー、…コンポーザーっていうよりボカロPって言ったほうが正しい?…そんな方を招いたトークでした。Rainbow Rush Storyがオンゲキで13+だった頃は1大変お世話になりました。話はかなり面白かったです。(詳細は口止めされている)
情報大生のコスプレに初挑戦でした。野幌って特急停車駅じゃないのか。
12月
Okhotsk DEW Community IT交流・勉強会@北見 + 情報処理北海道シンポジウム
なんだか大きく価値観を揺さぶられたイベントでした。揺さぶられてしまって、今まで以上に悩みの種が増えたのですが、まあイベント自体には行って良かったと思っています。
高専生から修士、博士生まで様々な年代の人のポスターセッションを聞くことができて良い経験になりました。
未来大からは発表側で参加している人がいなかったので多分唯一の参加者だと思います。
p2hacks 24
作ったものに関して言うことはあんまりないかな。詳しくはこっち → 真面目に光る服を作った
参加者が右肩上がりで120人ってマジ?と思ったのですが、Post-PBLに出ている人がPre-PBLに出ている人の師匠的な立場になっている場合があって、そういう関係性をさらってから各チームのプロダクトを見ると「あーそういう系譜なんすね」と思うところがあります。
B1やB2の頃から結構技術に対する価値観が変わって、自分が思っている軸と評価側の軸が大きくズレていたなと思うところはあって、そういう意味ではチームメンバーに申し訳ないことしたな〜とは思っています。でも一応受賞チーム発表までは家に帰らず大学に残っておくもんだと思うよ。
個人的には利用技術とかもうどうでも良くて、技術スタックも実装手法も発表では話しませんでした。利用技術の話に時間を割くならその時間で作ったものを見せてくれ!みたいな感じですね。とはいえ、他のチームは大体技術スタックをスライドに入れていたので「まあそうかぁ」とか思っていました。CI/CD入れました!みたいなのをアピールとしてスライドに入れていたチームもいましたが、じゃあCI/CDを入れてどれくらいの効率化ができたんですか?みたいなところにフォーカスがなくて、「だから何なんすかね」みたいな感じだったのが微妙だなと思っていました。
あとどこかのチームが昼休みにずっと他のチームとか色々に対する悪口(?)を言っててかなりアツかった。
最近の悩みを徒然に書いてみようと思う。
心境の変化
2024年のはじめ頃、「プログラマになる覚悟がない」という記事を書いたことがある。要約すると、「もうコードを書くのとか面倒くさいし、別に楽しくもないのでやめたい」である。実は今はプログラマとして働かせてもらっている身ではあるのだが、未だにこの感情は持っている。最近はコンピューターという無機物から自分が強く拒絶されているような気持ちになっていて苦しい。数年前まではまるでコンピューターが自分の身体の一部であるかのように、まさしく一心同体という気持ちでいたのだが、自分がコンピューターに対する愛を強く持ち続けることができなかったために、ついには現職と自分の心境の間に大きな壁を作ってしまったのである。
プログラマという職が世の中では憧れの職として扱われているのは、大抵の場合自分の年収を上げようとする機運からである。キーボードを叩くだけで年収は日本の中央値超え。…なんて思っている輩は多分プログラマになったところでろくにシステム全体の仕様すら知らされない末端の薄給実装要員として消費されていくのだろうと思うが、少なくともプログラマが憧れの職として扱われていることは確かと言って良い。そして、自分がこれから先適当に生きていったとして、おそらく年収中央値を超える側のプログラマにはなれると思うのだ。問題は自分がそうなりたいかというところにあって、プログラマとして手に職を得たとして、その後の幸せが自分には見えないのだ。じゃあお前は何になりたいんだと言われれば、それもまたない。「なりたいもの」と「なれるもの」の不一致を強く感じていても、「なりたいもの」の実像を描けず、「なれるもの」として生きている現状がある。
プログラマから他業種に転職することと、他業種からプログラマに転職する難易度は天と地ほどの差がある。言ってしまえばプログラマ転職というのはプログラマから他業種へのone-way doorで、新卒でプログラマになることの有利さというのは確実にあると言える。じゃあやっぱプログラマになるかぁと思ったところで、次に勤務地の問題がある。一昔前、リモートワークなんて言葉がなかった頃、基本的に東京の会社に務める人間は皆関東に住んでいた。翻って現在、そのシステムは不安定な状態にある。最終的には出社とリモートワークが混合するハイブリッドが主流になっていき、秘匿要件が多いシステムの開発を受託する会社などについては原則オフィス出社などという別れ方をしていくのだろうと思っているが、週に何度かの出社を義務付けている会社もある。そうすると関東近郊(とか、オフィスの近郊)に住むことになるのだが、個人的にあまり東京に出たい気持ちがなく、できれば北海道にとどまりたいという気持ちがある。そういうわけなので、新卒からフルリモートで働くことを許容してくれる職場を探さないといけないのだなと思ってはいるが、いかんせんやりたいこともなりたいものも思いつかないのでこれも動けず。今年の夏はインターンに行かなかったのでそこそこ大きな会社を狙うのも難しいし。札幌近郊の企業を調べてもいいなと思っている。希望はフルリモートではなく勤務地が北海道であることなので、別にそれなら全て出社でも良いとは思っている。
「自分らしさ」という言葉は、そんなに難しいものではなく、「自分があるコンテンツのキャラクターであったとき、どう行動するか」というところで、どれだけ真の自分が自分の回答に納得できるかどうかというものだと思っている。ここで解釈違いが起きてしまうようならそれは正しく自分を見つめられていないという解釈である。そして、今年の夏頃から、「解釈違い」が続いている。落ち着いて自分を見つめ直したとき、そこには何もなくて、まるで1ヶ月以上前の記憶を全て忘れてしまったような、そういう虚脱感と常に戦っている。実際、2023年の自分と今を比べると、圧倒的に思考能力が落ちていて、最近の自分はまとまらない考えに常に頭のリソースを支配されていて、プロセスのkillすら許されないという状態である。思えばコンピューターから拒絶されているように感じるのはコンピューターのことを自分にとって馴染み深い機器であると思えなくなったからかもしれない。今までの自分を振り返ったとき、確かにコンピューターがそこにあって、自分自身がコンピューターと共に成長してきたと言っても過言ではないかもしれない。が、今自分の手の中にコンピューターがあるかといわれると、どうにも手に余る存在になってしまったような気がしてならないのだ。自分に馴染みのあったものが全て自分のものでなくなったような。自分の部屋が自分の部屋で無いようで、何度も読み返した教科書が他人からの借り物の用に思えて、今まで嫌と言うほど開いてきたvimが手に馴染まなくなって、ほとんどのコードを書いてきたHHKBが手に合わなくなった。
今は、これがただの成長痛であることを願うばかりである。
2025年に向けて
目標なんて言うだけタダなので、好き勝手言う。以下ですます調に戻る。
- 大学をやめる。バイトをやめる。
- さすがに嘘ですが、その気持ちで全てをしない月が欲しいです。残念ながら学部4年になってしまう予定なので、卒業研究の関係でできるか怪しいですが。あと院進しないなら就職活動もしないといけないわけですし。
- 宗谷へいく
- 旭川より北に行きたいんですよね。稚内にも久々に行きたいですし、豊富温泉とか行ってみたいんですよね。
- 千葉、埼玉、仙台、宇都宮に行く + 滞在する
- さっきと矛盾することを言うのですが、自分が関東に行きたくないと思うのは自分が東京23区あたりにしか滞在したことしかない + そのときの体験がそこまで良くなかったからではないかという説があって、その説の検証がしたいんです。千葉、埼玉は普通 or 快速列車で東京まで通勤する想定。仙台とか宇都宮とかは週に1度くらいのノリで通勤する想定です。仙台とかかなり良さそうじゃないですか?めちゃくちゃ栄えてるし、東京までは新幹線一本 (しかも鈍行でも行ける) で、新千歳までも飛行機一本です。
- 基本情報 or 応用情報を取る
- 今までずっと面倒で避けてたんですが、取ったほうがいいのかななんて思ったりして。
- 英語系の検定を受ける
- 同上
- 自分の興味を探る
- 今はもう自分の興味も、好きなことも、楽しいこともわからなくなってしまって、結局自分は何がしたいのかをちゃんと考えたいんです。あわよくばやりたいことで論文を書いて大学を卒業したいんです。
おわりに
2024年は今までの人生の中で最も激動の年で、得たものも失ったものも多かったと思います。2025年は、この失ったものを取り戻す年になるか、もしくは手に入れたものをまた捨てる年になるのか、どちらなんでしょうか。
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元は簡単めな13.7 (13+)。Bright Memory Act.3から13.6に譜面定数が変更され13に降格。 ↩