日記を書き始めました。

これまで何度日記をつけることに失敗したことか。と言っても最後に日記を書いたのは小学生ぐらいの頃ですが。でもそんな小学生の頃の思い出ですら3回くらい日記をつけることに失敗した記憶がある。お前は日記を書くのに向いていない。

どうして日記なんてものを書こうと思ったかというと、単純に思考のリダイレクト先をSNSや友人から別の場所にしたかったからです。誰も自分の話に興味がないということに気づくまでに相当の時間を要したわけですが、まあこれによって人々が自分の毒思考から逃れられるわけだ。この文章をここまで読んでいるあなたは既に毒思考に染まっているので最後まで読んじゃってください。そもそも毒思考の反対であるところのピュア思考の持ち主はこんな得体もしれない記事をクリックして読もうなんて思ったりしない。

ということで日記を書き始めました。
紙で日記を書いているわけではなく、Google Documentで適当に書き散らしたものを自分のGoogle Driveに保存しています。こうすることで自分の持つ全てのデバイスが日記帳と化す仕組みです。全ての思考を簡単にリダイレクトできる。
別に即座に日記に書き込まなくても、その日の夜にでもまとめて書き込めば良い。
そんなことを2023年の10月10日から始めました。

最初のうちは結構調子良かったのですが、気づいたら17日、18日、19日の日記が欠けてしまった。単純に面倒だったとか、その期間は生活リズムがぶっ壊れていて書き忘れていたとかそういう感じなのですが、その書いていないという事実が思った以上に自分に重くのしかかってきた。
日記は20日から再び書いていますが、18日、19日、20日と日を跨ぐごとに「書いてないよ…」という声が頭の中で聞こえるようになってくる。さすがに耐えられなくなったので書きました。

別に日記なんて書いても書かなくても同じなわけですが、一度書くと意識してしまった結果、日記を書くという義務に追われている状況です。その結果としてメンヘラ彼女の連絡を既読無視している感じになってしまっている。でもこの関係を終わらせるのは簡単で、それこそ日記の最後の行に「これ以降日記を書かない」と書けばいいわけです。実際に19日と20日はそう思っていた。しかし、せっかく出来た彼女(しかもメンヘラ体質)を捨てるのか?という自問自答をした結果、20日の夜、彼女に連絡を返した。

というようなことを今日(21日)の日記に書こうか迷ったわけですが、今日は3週間くらい洗っていなかった鍋を洗った話と、いつ頼んだのか忘れていた「うまむすめし 2」が届いた話と、バイト先のシステムがいろいろ脆弱だったことに気づいたという話を書きました。第一、病んでる人間は自分が病んでいることに主観的には気づいていないので、束縛系メンヘラ彼女の日記ちゃんに「日記ちゃんは病んでるよ」と言ったところで「そんなことないよ。そんなこというきみがやんでるんじゃない?」と返ってくるのは自明だ。そもそも彼女はただのバイナリデータで生成AIのような関数を内部に持っているわけではないから話せないし書けないしな。

こんな束縛系彼女に思いを馳せていたら戸川純の「好き好き大好き」という曲を思い出した。R・D・レインの「好き?好き?大好き?」からタイトルが取られた曲ですが、まあ色々狂った曲である。現代の病みたがりな生ぬるい病みが本当に可愛く見えるくらい病んでいる。サビの歌詞なんて「愛してるって言わなきゃ殺す」だしな。しかもその曲が昭和60年、1985年にリリースされていることが驚きである。でも「好き好き大好き」よりは「さよならをおしえて」のほうが日記ちゃんには合っている。「例え大惨事が起きて 濁流が走り 街中が廃墟と化しても シェルターの重い扉を開けて 貴方の名前を呼ぶ私」や、「幽霊になってもどって来るわ 貴方の名前を呼ぶ為に」とか、それっぽいじゃないか。まあもうちょっと可愛げのあるセリフだったかもしれないがな。