最近は本を読んでいます。
大学の期末試験も終わり、前期にやり残した課題なども大体が終わったので、夏休みが始まりました。
始まった途端バイト漬けみたいな生活を送っているわけですが、まあそれでも何もない日というのは大学がある期間と比べると増えます。
というのも、大学がある時期には、大学のない日を選んでバイトをしているわけですから、必然的に休みの日というのはなくなってきます。
そんなこんなで余裕が出来たので、最近は本を読んでいます。
以前、「気づいたら夏」でも書きましたが、夏はAndroidアプリ開発や電子工作をしたり本を読もうと思っておりまして、そのうちの一つということです。
結局の所、自由な時間というものをまだそこまで取れていなくて、本を読むことしかできていないので、その話です。
本を読むという贅沢
本を読むということは、意外にも時間と体力を使います。
漫画については、漫画の画の部分がメインで、ストーリーの進行としてはそこまで速いものではありません。1
しかし、たくさんの情報が詰められた評論などを読むとなったとき、見開き1ページと次/前の見開き1ページとは関連性はあれどトピックが違うということもザラにあります。
少しでも気を抜くと現在のトピックを見失ってしまうような本というのは世の中にたくさんあります。2
そのため、僕たち読者は体力を使って話題を追いながら、時間を掛けてその文章の輪郭を捉えて、一つの体系だった情報として消費していくわけです。
そう考えると、時間を取って本を読むというのは意外にも贅沢な時間の使い方であると考えることが出来ます。
世界にあふれるコンテンツが可処分時間の奪い合いを繰り広げる中で、本を読むための10時間というのはかなりの価値を持っているものです。3
例えばYoutubeの動画は8分以上にすると途中広告が入れられるので、まあおおよそ10分くらいの時間を使うとしましょう。そうすると60本は動画を見れることになります。音楽が好きな人ならどうでしょう? 日本の大抵の曲は3分から5分の長さと言われています。間を取って4分と仮定しましょう。41アルバムが12曲であるとして、48分ですから、12枚とちょっとは聞けるわけです。
そう考えると、一人の人間の持つ10時間という時間が、世界にあふれるコンテンツにとってどれほどの価値を持つのかということがわかると思います。
そんな時間を、自分はここ最近継続的に、2日の間に2, 3時間は取っています。本を読むという行為、これは現代人に許された一つの究極の贅沢の形と言っても過言ではない。
何を手に取るか
いくら夏休みだからと言っても時間に限りがあります。
この夏休みはいつか終わってしまうわけで、その間に読める本を読みたいという欲求があります。
何を手に取り、何を読むか、それが問題だ。
自分は情報系の大学に属する人間なので、当然大学図書館で借りる本といえばCSの本や技術書…と思わせておいて、実は大学の図書館で借りた本のほとんどは情報系とはそこそこ離れている本である場合が多いです。
これは「言語化出来ないものは認知できない」という自分の信念や思想から来たもので、こういうある程度時間を取って本を読めるタイミングでは自分が興味を持てる境界分野の本を読むのがとても良い。境界分野の知識を得ることによって、またさらに遠くの知識に手が届くようになるのと同時に、境界分野の語彙を得ることができるので、自分が認知できる世界を広げることもできるという、まさに一石二鳥といった具合です。
ということで、最近は自分が全く知らない生理学、生物学の本を手にとって見たり、教育学や心理学、果てには哲学の本なども手にとってみたりしました。
また、それによって得られた知識や視点というものも多くあり、非常にいい体験だったと思っています。
ということで、この夏休みにもそういう本を多く借りました。また、買いました。
これらの本についてはまたいつか紹介したいです。5 (下の写真はラノベばっかりですが…)
そこに将来を見たり
贅沢といえば、こんなコピペをよく見ます
いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。
それが人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。トンカツ慕情 - 美味しんぼ(11) より
このコピペの賛否は置いておいて、自分の考える贅沢を自分のやりたい時にできるという環境は大事だと自分も考えています。
今は学生の立場ですから、こういう、本を読むと決めて本を読む時間を取ることは意外と簡単にできるわけですが、こう、自分の将来の見通しが0の段階で将来もこういう時間を持ちたいと言うことは出来ません。
ですから、こういう時間を持てるような社会人になると同時に、近くの図書館の場所を把握しておくとか、そういう継続的な努力をしていこうと再確認したという話でした。