$\blacktriangle$ $P \lor Q$が$Q \lor P$と同じであることの証明

このブログには実は没になった記事が山ほどある。
理由は様々あるが、上位に食い込む理由たちは以下の通りである。

  • 書いている途中に結論が行方不明に
  • 書いている途中に論証が崩壊した
  • 気力切れ

気力切れはともかく、1つ目と2つ目はそもそも文章を書く人間として致命的である。
当然ながらそんなことが起こった時点でその文章はもう手の施しようがない。
いかに論理構造をうまく組み替えても、上手くつながったように見えるだけで、結局の所論理は破綻し、それらしい結論もなく、ただよくわからないTwitter Blueみたいな文章を生成してしまう。

理由が言語化できない?

このブログの記事は基本的に

  1. 「言いたいこと」を決める
  2. 導入を書く
  3. 導入から結論までを導く文章を書く

というような流れで書かれている。

特にこの3番で悩むことが多く、かなり悩んでいた。せっかく言いたいことがあっても結論だけ述べるのならばTwitterで十分だ。

ということで、最近は自分の言語化能力が著しく低いのではないのかとか、小学生向けの国語ドリルをやった方がいいのではないかと思っていたりした。
しかし、よくよく考えてみるとこの文章作成の流れは少し変だなと思うようになった。

結論ありきの論文

ところが自称「研究家」は、疑問から一足飛びに「これは△△だからに違いない」という結論を「発見」してしまいます。甚だしきに至っては、疑問が動機ですらなく、「○○であることを証明したい」「××の説が間違っていることを証明したい」という具合に、結論そのものが研究の動機になっていたりします。 1

そもそもの話、結論が最初に"ある"のはおかしい。
これは別にPREP法2のことを言っているのではなく、その前の話、「これから話をしよう」と思っている段階の話だ。
つまり、「これから〇〇について話そう、書こう」と思っているのに結論だけがあって導入も理由もあとから貼り合わせたものであるのはおかしいということだ。

もしも本当に「〇〇について自分の主張を述べたい!」と思うのであれば、中間の根拠は完全に固まった状態でなくとも、「"それ"が"ああ"だから"こう"。だから〇〇は"こう"」という、それこそTwitterの140字に収まりそうな文章がかけるはずである。もし、主張が固まりきっていないのであれば、「ちょっとまだ完全に言語化できたわけじゃないんだけれども」というような枕詞をつければ良い。

実は結論が悪い

しかし、本当に理由も導入も書けないようなことが極稀にある。
こういう場合はどうかというと、そもそも結論自体が悪い場合がある。
つまり、「こういうことが言いたい!」の「こういうこと」がそもそも詰められていなくて、実は話の中身は空っぽであるということだ。

すごく面白い現象なのですが、院生の書いていることをこちらが理解できないので、 「お前は何を言いたいのだ」 と聞いてみる。すると、ああだこうだと説明する。その説明を聞いているうちに、なるほどと、こちらも何が言いたいのか判ってくる。そんな時、私が決まって院生に言う言葉は、 「だったらそう書けばいいじゃないか」 です。そして、 「あんたって不思議な人だね。自分で考えていることを考えている通りに書かずに、わざわざ別な表現で書いてしまうんだね。あなたの頭ってどうできているんだろう」 って皮肉交じりにからかったりします。 3

「お前は何が言いたいのだ」と問われて簡潔に答えられない話はそもそも成立しない。
これはちょうど上の項で書いた「主張にはまだ言語化されきっていなくとも理由が伴うはず」ということに似ている。

オチの無い話がスベるのが当然であるように、結論が固まっていない話は文章(エッセイ)になれない。4

これに対してはscrapboxなどでdraftを準備しておくなどして、自分の言いたいことをまとめておくといいと思う。scrapboxならば箇条書き形式でまとめられるし、もしそれが嫌ならば適当な紙に雑に書き連ねるだけで良いとも思う。これをしておけば文章を書く際のスタートがdraftやabstractからスタートできるので、話の構成を考えるパートだけを分離することができて嬉しい。

僕は小学生に戻ってしまった

よくよく考えてみると、小学生や中学生のときに「はじめ」「なか」「おわり」という構成で書けとか「5W1H」を意識して書けと言われていたわけで、それをすっかり忘れてしまった上で文章を書こうとしたからここまで困ってしまったわけである。
基本を忘れた上でやれ「理由が書けない」だやれ「結論と理由が上手くつながらない」などと言っても仕方がない。素晴らしい中身を持った文章を書こうと注力するあたり、すこし風が吹けば倒れてしまうような文章になってしまっていた。

結局のところ、僕は論理が書けないのでなく、僕は文章が書けないのであった

「なんかそうっぽいから」をやめたい

個人ブログの記事は大抵がお気持ち表明になるわけであるけれども、結論だけのお気持ち表明はあまりしたくない。導入や結論の理由などをちゃんと揃えたい。
今までは生えてきたお気持ちに対して「こうだよなぁ」ということを文章に起こしながら考えていたわけだが、今後はどれだけ雑でも良いのでabstractやtl;drを用意してから書き始められるようにしたい。
というより、そもそもそういう思考によってお気持ちが得られるようになりたいと思う。

しかし、それは難しい話で、それが今後の長期的な目標になりそうだなぁ。とこの締めを書きながら思うわけである。

アルバムアートめっちゃ可愛くていい

To: 同窓生

これVEPかも


  1. 大野圭介, 「信じる」者は救われない - トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編, 06/09/2023アクセス 

  2. Point-Reason-Example-Point. 結論を最初に述べ、理由、事例を述べたあとにもう一度結論を述べる表現技法。典型的なParagraph。 

  3. Sasa Yu, 日本の理系研究者から「日本語で論文を書くより英語で論文を書く方が論理的になる」とよく聞きます。これはなぜですか? - STAND ALONE COMPLEX - Quora, 06/09/2023アクセス 

  4. 不思議なことに、オチの無い話をすることが好きな人は多い(それがコミュニケーションの本質という話かも)